【今週の一言】
『行政書士制度の歴史観について』
行政書士制度の起源については、現在最も有力なのが、公事宿・公事師→司法職務定制による代書人→行政代書→行政書士という流れのようです。“行政書士かながわ”に掲載された楢府会員の論文もこの流れに沿った趣旨でかかれていました。
しかし、この流れは基本的に司法書士の歴史であり、行政書士の歴史としての説明では多くの疑問点が残ります。この問題の詳細については、私の拙文を用意するつもりですので、紙面の関係でそちらに譲りますが、なぜ、今、この歴史認識を問題にするのかと言うと今後の制度の方向性を考える上で制度の歴史から学ぶことが極めて重要だと考えるからに他なりません。
私は、行政書士制度の法的な起源は、明治30年代に全国的に都道府県条例として制定された「代書人取締規則」にあると考えています。それ以前には、制度的な形はなく、市井の有識者が文盲の国民のために代書・代筆を行ってきたものと思われます。それらの人々の活動が、地域の中で必要なものとして認知され、それが条例となって発露されたと考えるわけです。その名残が「報酬を得て」という形で今も残っていると考えられます。
司法職務定制による「代書人」は、確かに法制度上日本の歴史の中で初めて「代書人」という資格制度を作ったものです。しかし、それは、新制明治政府が、近代的な裁判制度を作るために太政官布告無号達として公布したもので、ここで定めた「代書人」は区裁判所によって管轄され、司法省が所管していました。明治7年に内務省が出来ましたが、ここで「代書人」が枝分かれした史実はありません。この「代書人」は大正8年の司法書士法の制定によって司法書士となります。一方、「代書人取締規則」条例による代書人は、翌大正9年の内務省令によって「行政代書人規則」が制定されたことによって行政代書人となりました。(「代書人取締規則」の時代は、警察署長が鑑札を交付したので、「鑑札代書」と呼ばれていたようです。)
つまり、司法書士制度は、はじめから国の主導で出来た制度ですが、行政代書人制度は、国民の要求によってはじめは条例が出来、その条例が定着してきたことを受けて国が国会を経ない省令という形でつくらざるを得なかった制度なのです。
その流れは、戦後勅令廃止によって行政代書人規則が廃止となったときにも、全国の都道府県で「行政書士条例」が出来、その国民の要求運動によって、議員立法で行政書士法が制定された流れに酷似しています。
私達がこのことから学び取ることは、行政書士制度は、官による政策ではなく国民のニーズによって出来た制度であり、国民のニーズに応えることが出来なければ存続していけないと言うことなのです。今、明治初期の頃と同じように司法制度改革が大胆に行われようとしています。そのことによって起こるのは、国民への自己責任の押しつけと、事後救済制度の強化なのです。そのことは、国民に高い自律性を求める社会をつくっていくのです。
このときこそ、かつて、市井の有識者が文盲社会の中で国民の権利を擁護し、義務の履行を支援したように、事後救済・情報化社会の中で国民の権利を擁護し、義務の履行に資するために存在していかなければならないと確信をしています。
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【Ozeki-Letter】 2005. 5. 6【第100号】
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