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【今週の一言】 12/16の『てんめい尽語』から
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【フセインの逮捕は対岸の火事?!】
一昨日イラクのサダム・フセインがアメリカ軍に拘束されたニュースが世界中に流れました。たまたま、湯河原での忘年会の前の話題で、「フセインもビンラディンも捕まらないねぇ。」という話題になり、宴会・二次会が終わって11時頃部屋に戻ったらそういうニュースだったので、ビックリです。でも、あれは本当にフセインなのかと思えましたですねぇ。
しかし、昨日、今朝のニュースを冷静に見ていると、この逮捕劇は周到に計算されたアメリカの戦略であり、ブッシュの再選に向けた国内向けの宣伝に利用した感が否めないように思います。そんな中で日本は自衛隊派遣をしようとしているわけで、いよいよアメリカの戦略に乗せられていくのではないかという危惧を感じています。
先だって、日刊建設通信新聞の「建設論評」で、アングロサクソンの文化について書いているものを読みましたが、そこに「2割の人間が8割の富を独占するアメリカ社会」という記述がありました。
この数字だけを見るとイラクも北朝鮮も似たような数字が出てくるニュースを何度も見聞きしてきたので、アメリカの言う民主主義とはなんなのかについて考えさせられました。
テロや暴動などの背景には、民族差別や宗教的な争いがあるように言われていますが、それは表層に現れた事象を見て言われていることで、その根底には「貧困」があるのだと思うのです。“豊か”であればもっと違った表現がなされるのだと思うのです。大半の国民が貧困と言われる生活レベルにあり、その一方で特権的富裕層が富を集積するという歪みがテロを生み、国民を暴動に駆り立てるのだと思うのです。
日本社会は、これまで“配分の論理”に基づく政策のおかげ(?)で、国民のほとんどが中流意識を持つという幸せな社会を作り、“和を重んずる”という国民性のおかげで世界最高レベルの治安といわれた時期もありました。しかし、“配分の論理”が破綻し、代わって登場した新古典資本主義という考え方によって、貧困層と富裕層の二極分化が始まり、それに比例するように治安が急激に悪化しています。
この状況を見て、治安の回復のために警察力の増強を唱える政治家が増えています。それがまた“警察国家”への逆戻りにならないという保証はどこにもありませんし、アメリカのような“民主主義の仮面をかぶった強権国家”への道を歩んでいく可能性をなしとはしません。だからこそ、この問題(フセインの逮捕)は対岸の火事ではなく、自分たち自身の問題として真剣に考えなければならないと思うのです。
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【Ozeki-Letter】 2003.12.19【 第29号 】
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