小関ブログ

戦争の記憶

今日は曇、先週垣間見えた富士山は、またも姿がありません。かなり蒸し暑い朝です。

昨日の北島康介の世界記録での金メダルはすばらしかったですねぇ。感動しました。今日の200mも頑張って連続2冠達成をしてもらいたいものです。

バトミントンでは、末綱・前田組が世界ランク1位の中国ペアを破って4強入りをしましたが、前評判が高かった小椋・潮田組は、世界ランク3位の中国ペアに惨敗をしてしまいました。やっぱり実力のある中国を怒らせると怖いものがありますねぇ。

しかし、日本のマスコミは、オグシオだのスエマエだのと勝手にネーミングをして盛り上げているようですが、なんだか二人を一人にまとめて、一人では半人前のような呼び方であまりよい印象は受けません。私がオヤジ世代だからそういう印象になるのかもしれませんが、失礼だと思いますよ。やっぱり、二人の名前をきちんと表現してあげるべきだと思います。

昨夜は、惨敗した柔道の試合ばかりだったので途中でチャンネルを変えてNHKBShでやっていたフィリピン・マニラでの攻防の記録ドキュメンタリーと続けてやっていた極東裁判のドキュメントを見ました。毎年8月15日が近づくとおきまりの戦争記憶を風化させないためのドキュメンタリー番組ですが、つい引き込まれて真剣に見てしまいました。

戦後60年以上が経過し、その記憶が薄れていく中で、お定まりとはいえ、終戦記念日を中心に戦争の記憶を伝えていくことは大切なことだと思います。最近では、平成にはいってからの戦争美化に始まり、若者の間に戦争待望論まであるようで、なぜ人間は戦争をするのかという最も基本的な問題を真剣に考える必要があるのかもしれません。

昨日の番組の中で、元米軍兵士が、「戦争をしようとする指導者が、自ら戦地で戦うことを義務づければ戦争はなくなるだろう。」といっていましたが、その通りかもしれません。戦争に正義だの神聖だのという言葉は似合いません。国家権力を握った一握りの人が、自らは安全なな場所を確保した上で、国民を死地に追いやることはどんな理由をつけても許されることでないと思うのです。

特に軍部が独走し、全体主義国家を作り上げて国民を総動員した日本という国の国民性は今でも危うい遺伝子が生き残っているような気がしています。走破させないために一人ひとりの国民がきちんと考え、民主主義を守り、シビリアンコントロールを維持するために何をすべきかをきちんと議論していくことが重要なのだと思っています。

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