今日も晴れ、穏やかな秋空です。
昨日、亀田親子が記者会見したことが今朝のTVで一斉に伝えられていました。うなだれて一言も発しない大毅選手を見ていて、まだ記憶に新しい朝青龍のことを思い出しました。
朝青龍も亀田親子も、批判の対象となった行為がきっかけとなってそれまでの彼らの不遜な言動、相手を見下したような態度や発言に対して溜まっていた多くの人々のフラストレーションが一気に噴出して大きな波となって相撲協会、JBCを動かし、指導官庁をや政治家を巻き込んで大きな事態を引き起こしているように見えます。(そのほかにもいろいろなファクターが存在するのかもしれませんが・・・)
その中で当事者である朝青龍は、精神疾患を理由に何も語ることなくモンゴルへ逃避し、亀田大毅は、父親に促されて記者会見場に出てきたものの、彼も何も語らないまま2分足らずで姿を消して自宅に引きこもる有様です。そして、彼に対しても精神疾患の疑いがあるという声が出始めています。
この二人の若者を見ていると、ただ強ければよい、勝てば何をしても良いという強者の論理によって仕立て上げられたものの精神力がいかに弱いかを示しているように思えます。そして、いまの、この競争社会での“優勝劣敗”という市場至上主義がもたらしている価値観がもはや通用せず、本当に強いこととはただ単に強いだけではなく、品格を重んじ、人を思いやり、頼れる存在であることという価値観が人々を動かしているようにも見えてきます。
私は、“勝てばよい”という結果至上主義によって、それまでの過程での努力や苦労を軽視する傾向がいまの若者の精神的弱さを醸しだし、一世代前の“切れる若者”からさらに進んで社会性を破壊する傍若無人な振る舞いを支持する若者が増えているような気がします。そのことは若者だけではなく中高年層にも拡がっているような気さえします。
21世紀に入り、大きく時代が変わったことでそれまでの安定した価値観が破壊され、様々な新たな制度、規範が作られてきましたが、それらは未だ社会に定着しておらず、そのことで大多数の国民がよるべき安定した価値観が確立していない過渡期だとは思うのですが、この二人の若者が示した行動を警鐘として重く受け止める必要があるのだと思うのです。
小関事務所から日々の徒然
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