小関ブログ

124人の死刑囚が無実に・・・

今日もすっきりしない天気です。秋雨前線の停滞と台風の影響で、当分この状態が続くようです。猛暑が一段落してホッとしましたが、どんよりとした空では気持ちが沈みますねぇ。
昨夜のNHK「クローズアップ現代」で取り上げていたアメリカの刑事司法のあり方にびっくりです。アメリカでは最近になって124人の死刑囚が犯行当時の証拠のDNA鑑定によって無罪になり、社会的に深刻な問題となっているそうです。
つまりは、今回明らかになっただけで124名の無実の人が冤罪で死刑の恐怖に苛まれながら長期間拘留されてきたわけで、もしかしたら既に処刑された人々の中にも相当数の無実の人がいるのではないかという疑念が生まれます。
アメリカの刑事裁判は、陪審員制度によって支えられており、市民から選ばれる十数名の陪審員に検察側からの十分な情報が提供されないまま全員一致による評決をせざるを得ず、それが冤罪を生む要素になっているという意見もあり、そのために陪審員になることを拒む市民が増えているそうです。
日本でもこれから「裁判員制度」が始まるわけですが、捜査段階での取り調べが密室で行われる上に、証拠物の保管義務もなく廃棄しても罰則もない状況で、裁判員となった市民に十分な情報がきちんと提供される保証がないわけですから、この「裁判員制度」がきちんと機能し、日本社会から冤罪をなくす有効な制度になりうるかどうかは極めて心許ないように思われます。
折しも、携帯の裏求人サイトで知り合った3人組が何の落ち度も罪もない女性を金を奪う目的だけで拉致し殺すというおよそ常識とは無縁の残忍な事件が起きました。この事件の発覚が犯人の一人が「死刑になりたくない」と警察に通報したことにあり、死刑が一定の犯罪抑止力になっていることを伺わせる報道がされています。
この事件の犯人については、被害者の恐怖、痛み、突然命を奪われた理不尽を考えると何とも許し難く、自首したとはいえ、多くの市民が死刑を望んでいると思われるのですが、なんだかわからないうちに犯人にされ、過酷な取り調べの中で不本意ながら自白をし、裁判で無実を訴えているにもかかわらず、証拠調べが不十分で被害者の供述と容疑をかけられた者の「自白」だけを重視して為される裁判には疑問を抱かざるをを得ません。
人が人を裁くというのは大変難しいものではあると思うのと同時に死刑廃止論に直に賛成する立場ではありませんが、昨日のクローズアップ現代で放映されたアメリカ市民の「無実の人を死刑にすることは、国家の殺人だ」というコメントを重く受け止めなければならないと思います。「死刑」は、執行されれば取り返しがつかないのですから・・・。

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