梅雨が明けたと言っても今日も空はどんよりした曇りで、まるで秋のような気配が漂っています。西日本は夏が来たようですが、ここはまるで一足飛びに秋になってしまったかのような天候です。
昨日からガソリンが大幅値上げになりました。まさに実体経済の需要と供給のバランスではなく、市場経済の投機的な先物取引による資金の流れが経済全体を支配し始めているように見えます。まさに市場至上主義による計量経済社会への移行が始まっているのではないでしょうか。
このまま「構造改革」の名の下に競争を激化させ、格差社会が拡大していくことによってどんな結果が待っているのかという不安が増大していきます。何かがおかしいと思い始めているのは私だけではないと思うのです。
今朝その疑問を持ってネットを検索し、「日本再生の可能性を問う」というサイトを見つけました。そこに書かれていたことは、まさにふくらみつつある疑問に答えてくれているもので、素直に読むことが出来ました。
今、この社会に必要なのは、ケインズの言う「富の再配分」を全面否定することではなく、不正や官僚主義を打破して21世紀にふさわしい透明で公正な社会をどう作るかと言うことであり、弱肉強食の競争社会にして一部に富を集積させる格差社会を作ることではないと思うのです。今や、公共事業=悪という認識が一般化してしまった感がありますが、それはこれまでの箱物や高規格道路、整備新幹線などといった大型プロジェクトの中での不正、不透明性の問題があったことや、縦割り行政による類似施設の乱立など国民の目に映る公共事業が必ずしも国民の要望に応えるものではなく、権力的に進められてきたひずみが表面化したものなのだと考えています。
本来公共事業は生活に密着した社会基盤整備のために行われるものは住民にも受け入れられてきたはずで、特に山岳地帯が多く平野の少ない国土にあって、毎年起こる水害等の災害防止のための事業はもっと進めていかなければならないと思うのです。今後、これまでに造られてきた建築物や構造物がその寿命を迎えそのリホームが必要になってくる時代がもうそこまで来ています。多くの都市がそのことによって大量の廃棄物を抱え、その処理に行き詰まることは目に見えています。
その処理を民間だけでまかなうことは到底無理であろうと思われ、そのためにもきちんとした政策を確立し、政府あるいは自治体の主導で解決策を見いだしていかなければならないのだと言うことは想像に難くありません。その一事をとっても、「小さな政府」ではすまされない問題であると強く感じています。
政府は「骨太の方針」などというものを示して、競争社会の拡大を目指し、小さな政府論によってあまたの公共福祉を切り捨てようとしているかに見えます。これでは国民が救われません。今、自民党総裁選挙の候補者が取り沙汰されていますが、是非、国民の前できちんと政策を掲げ、論争をし、今後どんな社会を形成しようとしているのかを明らかにしてくれることを強く望みたいと思います。
小関事務所から日々の徒然
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