今日の小田原は晴れ。風が少しありますが、まずまずの天気です。
昨日の“尽語”で、あらゆる組織がヒエラルキー思考から脱却し、ネットワーク型の思考に基づく組織への転換を迫られている。と、書きました。では、ネットワーク型思考に基づく組織とはどのような組織なのかを少し考えてみたいと思います。
このことを考えるときに参考にしているのが、P・F・ドラッカー氏の著書である「非営利組織の経営」と一橋大学伊丹教授の著した「場のマネジメント」論なのです。
“マネジメント(経営)”という言葉のイメージは、“ビジネス”を連想させるせいか、行政書士会という非営利組織の中で、“マネジメントが必要だ”と言うことを主張してもなかなか解ってもらえないのですが、ドラッカー氏が非営利組織の成果を生み出すためのマネジメントの必要性を説き、伊丹教授が、組織の中に“場”を生み、その“場”をマネジメントすることで成果を上げるという考え方を説いています。
「場のマネジメント」の基本的なメッセージは、
・経営とは、個人の行動を管理することではない、人々に協働を促すことである。
・適切な状況設定さえ出来れば、人々は協働を自然に始める。
・経営の役割は、その状況設定を行うこと。後は任せて大丈夫。(「場のマネジメント」,p5)
であるとし、
『こうして、行動、学習、意思決定、心理的エネルギー、この四つが人々が組織の中で行なっていること、発生させているものであり、その全体としての組織の協働があるのである。その組織の協働を経営はなんらかの形で統合しようとする。』
『その統御のために経営が直接的に働きかけられるのは、人々の意思決定と心理的エネルギーという「外からは見えない」部分だけである。彼らの事業行動と学習は、最終的には彼らに任されざるをえない。彼らが実行者だからである。したがって、この二つには直接的には働きかけられず、意思決定と心理的エネルギーを通して間接的にのみ働きかけられる。』(「場のマネジメント」,p34)
『「統御」とは、「促し、率い、舵取りをすること」、と考えればよい。経営とは、人々の協働を促し、率い、そして協働全体の舵取りをすることなのである。その統御のために、組織の中で起きるはずのことを上の人間が「すべて」計画し、デザインし、命令する必要はない。しかし、かといって、全くの混沌や自己組織化に組織を委ねてしまうことでもない。その中間のどこかに経営の本質がある。』
(「場のマネジメント」,p35)
これらのことを行政書士会という組織に置き換えて考えてみると、実にしっくりくることが解ります。つまり、組織を“上意下達”のヒエラルキー(階層)という風にイメージされてきたものを“協働作業の統御”を組織経営の中心に据えなければならないのです。
この本を読み進めていくと、ネットワーク型組織とは、組織の中に“場”という人々の間の情報相互作用の容れ物を作り、情報相互作用を行えるかなり自律性の高い人々によって、共通理解を生み出して協働によって成果を上げることの出来る組織。という理解が出来ます。
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