今日は、雲が多いながら晴れています。今朝は風が冷たく感じました。いきなり秋を感じましたですねぇ。
涼しくなると、たまっていた疲れがどーっとでてくるような感じになるのはどうしてなのでしょう?
世の中、一見静かで平穏な感じなのですが、なんだか解らないジレンマのようなものを感じているのは私だけでしょうか。「情報とは、止まった状態で入手するものであり、人間は常に動いている。」という養老孟司氏の言葉にあるように、現に動いた状態での情報が見えない焦りなのでしょうか。
よく、“いまは予測不能なクライシスの時代”といわれたりしますが、実際のところ、日本社会を含めて人類社会全体がどこへ向かっていこうとしているのかがよくわからない“混沌”の中にあるように思えます。
元々、人間の思考というのはきわめて抽象的なものから発想し、そこから様々な想像を経て、次第に具体的な思考となり、様々なものを生産したり、または破壊したりして文明を形作ってきたと思うのですが、いま、“知的労働の生産性”という言葉で、「脳化社会」、「情報化社会」の価値観が背つめされています。しかし、「肉体労働の生産性」から「知的労働の生産性」といっても、まだ今の段階では、きわめて抽象論的な響きしか感じてきません。
しかも、新古典資本主義経済という「市場原理至上主義」的な考え方がグローバル経済を席巻し、ローカル経済をも巻き込もうとしています。それは、これまでとは違った価値観に基づいた行動を要求されているということでありながら、新たな価値観は、未だ確立されていない抽象論の中にあり、そのため、いまの混沌とした状況を生みだしていると思えるのです。
新たな価値観が確立され、一般化されるためには、それなりの時間を必要とし、それまでの間、従来型の「肉体労働の生産性」によって支えられた20世紀型の思考に基づく価値観と、21世紀の情報化社会の中で高まって行くであろう「知的労働の生産性」を基礎に生み出されつつある価値観とが併存する状態が続くこととなり、どちらの価値観も否定できない社会が出現しているということなのかもしれません。
なんだかよくわからない禅問答のようになってしまいましたが、これからどんな社会が出現してくるのかを予測し、戦略を持って生きることこそが大切なのだと思うのです。
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