小関ブログ

歴史的考察の資料作り

今日は曇りで、時折薄日が差す天気です。昨夜は寒く感じるほど気温が下がったのですが、今日はまたぞろ31℃の最高気温の予報なので暑くなりそうです。身体がついていけませんですねぇ^^;
9月17日の建設産業史研究会の資料提出の期限がいよいよタイムリミットに近づいてきました。が、まだ何も手つかずの状態なのです。今日は、そのために関東学院大学の図書館に行って来たいと思っています。
テーマは、「建設業と行政書士の関係に関する歴史的考察」というものなのですが、戦前以前の明治、大正期における行政書士の前身である「行政代書人」自体の記述のある書物がほとんどなく、私の推論を検証する材料が見つからないので、これまで頓挫していたのですが、そうもいっていられない時期にきてしまいましたので、なんとかせねばなりません。
私は、これまで、この業界の通説なってきた公事宿(公事師):くじやど(くじし)→司法職務定制(明治5年太政官布達):代言人、代書人、証書人に行政書士の起源を求める考え方には同意を出来ずにいます。なぜなら、この流れは、明らかに日本の司法制度の創生期の流れであり、裁判制度の確立のためにつくられた資格の創設で、ここでいう「代書人」は、司法書士の起源と考えるべきあると考えるのです。(定制「代書人」から司法と行政に分かれたという説もありますが、消極です。)
では、行政書士の起源をどう考えるかについてですが、当時の文盲社会の中で市井で代書、代筆など庶民のニーズに応えた活動をしていたと思われる寺子屋の教師、名主、武士などの中にあったのではないかというのが私の推論なのです。従って、行政代書人が初めて法制化されたのは、明治30年代に地方ごとに制定された「代書人取締規則」であろうと思われるのです。
私がこのことにこだわるのは、この歴史的起源が、現在の行政書士法の制定経緯がなぜ“議員立法”なのかという問題と深く結びついていると考えられるからなのです。つまり、行政書士制度は、その草創期から官製の資格制度ではなく、あくまで民衆のニーズによってつくられてきたと考えるのです。
そしてこのことを明らかにすることは、我々の未来を考え上での重要な示唆を導き出せるのではないかと考えています。私達の制度は、民衆のニーズによって支えられ、発展してきたという行政書士ミームを伝播させることによって、官製システムによって消滅させられる危機を回避し、国民と共に未来をつくる作業を進めなければならない。と、思うのです。
そこらの点を裏付けをもってまとめてみたいというのが、今回の建設産業史研究会での発表を引き受けさせていただいた動機なのですが、これがなかなか難しいということをしみじみ感じている今日この頃なのです。何とかPPTにしてみたい。。。頑張りましょう。

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